レンの日記

日常の思考を整理したい、20代役人の雑記ブログ。

「期待値」と満足と人間関係と

学生の頃、数学の確率分野で学習した「期待値」という概念。

学生の頃、個人的には比較的点数がとりやすく、ありがたい項目くらいにしか思ってなかったけど、まさか大人になってこんな役に立つ概念だとは、当時知るよしもなかった…

 

じゃあ、何の役に立つかというと、分かりやすい例としては、ギャンブルなど数字で損得が出るもの。

例えば「サイコロを振ったときにどの目が出るかを予想し、予想が的中すれば3,000円もらえるゲーム」の参加費用が800円だったとすると、このゲームで得られる期待値は、

1/6 (予想した目が出る確率)×3,000(予想が当たった場合の報酬)=500

となり、得られる報酬の期待値(500円)よりゲームの参加費用(800円)が高いから、金銭的な損得だけ考えると、このゲームには参加しないほうがいいという結論になる。(実際にあったらシンプルすぎて怪しいですが)

 

こんな感じで、「その勝負にのったほうがいいのか、のらないほうがいいのか」ということを論理的に決定できるというだけでも役に立つ概念だと思うが、その他にも期待値という概念は非常に役立つ。

それは、人の満足感を考えるうえで、めちゃくちゃ役に立つということ。

どういうことかというと、人の満足感は期待値と実際の感情体験の差分によって生まれるものだとする。

例えば、今日は友達とのバーベキュー。正直あまり仲のいい人がくるわけでもないし、そもそもそんな楽しいもんだと期待してないので、期待値は30%くらい。

しかし、行ってみると案外みんなと打ち解けられて楽しかったため、楽しかった度70%くらいだったとする。

このとき、30%の期待値に対して、実際楽しかった度が70%だったので、その差分40%が「思ったより楽しかった」という満足度として残る。

 

これが今日は仲のいい人結構くるし楽しいだろうな〜と期待値90%だったとする。

しかし、実際行ってみると、天気悪くて味もいまいち。まあ仲良い人としゃべれて楽しかったっちゃ楽しかったけど、楽しかった度70%くらいかなて感じだったとする。

このとき、90%の期待値に対して、実際楽しかった度が70%だったので、その差分−20%が「思ったより楽しくなかった」という不満足度として残る。

こういう風に人の満足度というのは期待値に大きく左右されると思うが、これは人間関係にも言えることだと思う。

満足度の例を考えると、パートナーや友達、職場の同僚、上司や部下など、自分の身の回りの人に対して、勝手に高い期待値をもつということは、自分がその人に対して不満を持つ確率をあげてしまっているという見方もできる。

もちろん、(期待をかけることで、かけられた側のモチベーションが上がるということもあるだろうし)誰にも何も期待しないほうがいいというわけでは無いと思うけど、自分の中で勝手に期待して、勝手に失望するというのは、自分の中の期待値をうまくコントロールすることで避けられることではないかと思う。

そして、勝手に期待値をあげている時というのは、得てして自分の固定観念(パートナーに対して、「夫、妻ならこうすべきだ」、友達に対して「友達ならこういうことをしてくれて当たり前だ」などなど)が原因だったりすることもあると思うので、それを自覚するのは自分も相手も心地よくいるために、めちゃくちゃ大切なんだろうなと思うわけです。

 

いずれにしても、人間関係やサービス提供者にとっても深い意味をもつこの期待値という考え方。学生の頃は単純な計算問題としか見ていなかったけど、あなどれないやつですね