レンの日記

日常の思考を整理したい、20代役人の雑記ブログ。

「もったいない」自体が「もったいない」こと

本を読むことが好きだ。今や図書館でも色んな本を借りれるし、有料で電子書籍を買えば、すぐに新刊を見ることもできる。アマゾンでは月額の読み放題サービスなんかもある。そんな「本」だが、本を読む中で不要な「もったいない精神」を発動させてしまうことが多々ある。

それは、「本は最後まで読まなければならない」という謎の思い込みである。

お金を出して買った本なんかは特に、「最後まで読まなきゃ、出費した分がもったいない…」みたいに感じてしまいがちだが、そんなことはないなと最近思う。

自分にとって読みにくかったり、あまり面白いと思えないと思う本であったら、途中で読み終える、もしくは気になる箇所だけ読むというスタンスで全然いい。

むしろ「読みたくなくなっても最後まで読まなきゃいけない」という思い込みで、せっかく好きでやっていた読書という行為が、嫌いになってしまうリスクの方が大きいと感じる。

こんな風に、時々「もったいないと思うこと自体がもったいない」となってしまうような状況があるが、そこで昔本で読んだ「コンコルドの誤謬」という心理学用語を思い出す。

用語の意味としては「ある対象へ(お金なり時間なりを)投資し続けることが損失になるとわかっていても、それまで投資した分をもったいないと惜しむため、投資がやめられない」という感じの意味だったと思う。
(昔、イギリスとフランスが共同で開発していたコンコルドという超音速旅客機が、開発段階で採算割れすることが確実と思われていたにも関わらず、それまで巨額の投資をしていたこともあり、開発を中止できなかったことが由来になっているらしい)

よくよく考えて見ると、以外に身近なところで、この誤謬が発動しているなと思う。


例えば、自分はよく高校の数学のテストなどで、最後の難問に時間をかけ過ぎていた。

具体的には、数学の期末テスト残り15分で最後の難問が待ち構えている。その難問はテストを作った先生の「満点なんぞそう簡単にはとらせん」という意気込みがひしひしと伝わってくるような問題だ。

その難問を前にして当時の自分は、「この難問を解いて自分が唯一クラスで満点をとった覇者となる」くらいの思い上がりを心の中でぶちまけていた。
しかし、一方で「そうは言っても残りの5分くらいは始めの簡単な計算問題の見直しに当てた方が、ミスを防げて最終的な点数は高くなる。最後の難問は10分くらい解いてみて、ダメだったら残りの5分は簡単な計算問題の見直しに当てよう」と冷静に考えている。

しかし、いざ難問を解き始めるとあっという間に時間が過ぎていく。始めは10分で切り上げるつもりが、「ここまで来たら難問を解ききらないと、この問題に費やした10分がもったいない!」という感じでドツボにはまり、結局難問も最後まで解けず、計算問題の見直しもできないままタイムアップという悲劇の結末を迎える…

まあ、社会人の今となってはテストでこんな思いをすることは中々無いが、この「もったいない」と思ったことにより、より「もったいない」結果を招いてしまうということは、時間にしてもお金にしても以外に身近にあるのかもしれないと思った平日の朝でした。